相対的貧困について
阿部 彩.(2008).子どもの貧困.東京:岩波書店
阿部彩. (2012). 「豊かさ」 と 「貧しさ」: 相対的貧困と子ども. 発達心理学研究, 23, 362-374.
阿部彩. (2017). 子どもの貧困問題への社会科学的アプローチ. 学術の動向, 22, 10_8-10_13.
平井美佳, 神前裕子, 長谷川麻衣, & 高橋惠子. (2015). 乳幼児にとって必須な養育環境とは何か: 市民の素朴信念. 発達心理学研究, 26, 56-69.
少しこの事項について考えるきっかけがあったので、いつもと毛色が異なるが、自分の勉強まとめ用としてここに残しておきたいと思う。最近は、この相対的貧困という用語がしばしばメディアなどでも用いられるようになってきたが、ここでいう貧困とは日本人が一般的にイメージする貧困ではない。日本人がイメージする貧困とは、食べることもままならない、明日住む場所がないといった生活ができない状況に追い込まれている「絶対的貧困」に相当する。一方、「相対的貧困」とは人がある社会の中で生活する際に、その社会の人のほとんどが享受している「普通」の習慣や行為ができないことを指す。阿部 (2012) であげられている日本人の例としては、学校に行き、クラブ活動をし、友達と遊び、希望すれば高校程度の高等教育を受けられるなどがあげられている。これらの活動には最低限のおもちゃ、スポーツ用品、誕生日やクリスマスのささやかなお祝い、修学旅行に行く費用、給食費などが必要となってくる。こうした基準を用いた時に、日本では2015年時点で13.9パーセントつまり7人に1人が相対的貧困に分類されることとがわかっている。
相対的貧困率の推定方法は、それほど難しくなく、世帯所得(勤労収入、資産、公的年金、生活保護、子ども手当から税金を引いたもの)を世帯人数の平方根でわった値となる。そしてその中央値を取り、そのまた半分のラインが貧困ラインとなる。ただ、こうした方法の限界も指摘されており、世帯所得自体を正確に計算できるかが難しいこと、収入=生活水準とは必ずしも言えないこと(持ち家があるかどうか)、50%という線引きは恣意的なものであることなどである。そのため、あくまで相対的貧困の1つの指標として考えた方が良いだろう。
収入以外で「その社会の人のほとんどが享受している「普通」の習慣や行為ができない」という点(相対的剥奪)から検討する方法として、阿部(2012)ではイギリスで開発された「社会的必需品」尺度を用いて日本人を対象に検証している。この尺度では、その社会における市民の多数、すなわち50% 以上の人が「持つのが当たり前である」「社会的必需品(socially perceived necessities)である」と認める条件でリストを構成している。調査の結果、周囲の子どもが持つスポーツ用品やおもちゃを絶対に必要であるとした割合は比較的少なく、誕生日のお祝いなども与えられない子どもがいても仕方がないという趣旨の結果が得られている。しかし、イギリスで実施した同様の調査では、かなりの項目で50%以上の人が「子どもに与えられるべき」と回答している。この両者の違いについて、阿部(2012)では相対的貧困という概念が日本では浸透していない点を挙げている。先のおもちゃ(特にゲーム機)などは確かに現実には子どもにとってポジティブな影響を持つとは言えないので、そんなものなくてもいいだろう、他に遊び方はたくさんあるという考えのもと、必要ないと判断された可能性が高い。しかし、実際に個々の家庭を対象に、インタビュー調査を進めていくと、多くの家庭でゲーム機を購入しており、必要だと考えているようである。日本人は衣食住に関わるものでなければ、最低限で十分であり子どもにとって必ずしも必要ないのではと心のどこかで思っているのだが、実際お金に余裕があれば他の人が持っているからという理由で買い与えている可能性がある。ここも非常に難しいところで、お金がなく進学ができない子どもが、同世代の子どもが持つような比較的高価なものを持っていた場合、そんなものを買うお金があるなら、進学費用にあてろという批判がきてしまう世の中である。しかし、実際はその子には同世代の子どもと同様に同時期を楽しんで生活を送る権利があるわけで、それが送れなくなっている時点で相対的貧困に相当すると言えるのかもしれない。他にも具体的な指標として、「虫歯の数」「授業がわからないと回答した割合」「交友関係」などを相対的貧困と関連する重要な指標とされている。
では、次に相対的貧困が及ぼす波及効果についてである。1つは、社会的排除である。まず学校にいけないこと、たとえ行っていたとしても綺麗な服を着ることができない、給食費を払えない、修学旅行に参加できないなど、他の子どもたちが「普通」にしていることから逸脱せざるおえない傾向になる。実際、Ridge(2002/2010) によるイギリスの子どもたちを対象にした調査では、貧困層の子どもはそうでない子どもに比べて、停学・退学の経験が多く、無断欠席が多く、いじめを恐れており、教師との関係も良好ではないことが報告されている。 また、彼らは、学校における勉強が将来の自分に大きな意味があるとは思っておらず、早い段階から16歳後の就業を想定していないことが示されている。もう1つの波及効果は親への影響を介して子どもに影響を与えるパターンである。まず、相対的貧困は親の社会的排除を促す。たとえば、年収が300万円以下の世帯においては、「子どものこでの相談相手が家族の中 (外) にいない」「病気や事故などの際、子どもの面倒を見くれる人がいない 」 とした割合が高いことがわかっている (阿部、2008)。さらに、相対的貧困に分類される場合、親が長時間または不規則な労働を強いられている傾向が高い。そのため、物理的に父親や母親と一緒に居られる時間が短くなってしまうだけでなく、親の精神的ストレスが子どもに様々な形でぶつけれてしまうこともあるだろう。
貧困の問題にアプローチするためには、政策、福祉、心理など様々な観点からアプローチする必要がある。当然ながら一朝一夕で解決する問題ではないし、相対的ゆえにこの世の中からなくなるものでもない。そのため、なんだよ当たり前のことだよと思われるかもしれないが、研究者としては1つずつ知見を積み重ねていくしかできることがない。特に心理学ではSESという1つの指標を用いて、いわゆる貧富というものを取り扱おうとする。しかし、上記の社会調査でも指摘されているようにSESと何か他の心理的な変数がそもそも線形的な関係を想定できるかどうかは疑問である。そもそもSESという指標で良いのかどうか、考えることは様々であり、今後は貧困という問題をさらに分解して考えゆかねばならない。
0コメント